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【働かないおじさん問題】サード・プレイスを見つけた方が良い理由

近年、「働かないおじさん」が様々で取りざたされています。
周囲の「働かないおじさん」に心当たりがある方もいらっしゃるかもしれません。キリオも働かないおじさんの話を時折耳にします。
客観的にどうかはともかく、キリオは40代半ばでまだ働かないおじさんとは思ってはいませんが、年齢とともに人的資本の価値は低下していきます。特に、この頃感じるのは、20代や30代の頃と比べると気力、体力とも落ちていますし、ムリもきかなくなってきているように感じます。自分もいつかは賞味期限切れするのでしょうか。
一方、会社の経営環境の変化や不本意の人事異動など、悪い事を考えだせば、自身を取り巻く立場が今後悪くならないとも限りません。
先々、何かの理由で自分が「オワコン化」した時、「働かないおじさん」になってしまう日がくるのかもしれません。
「働かないおじさん」とレッテルをもし貼られた時は、身の振り方をどう考えるべきか、いろいろ考えさせられはします。(その時、転職できれば、それに越したことはありません。)
今回、『早期退職時代のサバイバル術』(小林祐児著・幻冬舎新書)を読み、「第3章 日本の「校内マラソン型」 人事が「働かないおじさん」問題の原因」と「第4章 自分の居場所を確保するために」を中心に、「働かないおじさん」が生まれる「背景」や「原因」ついて興味深い記述がありましたので、共有したいと思います。
この記事では、働かないおじさんを心配する人に向け、どう向き合えばよいかを考えていきたいと思います。

この記事でお伝えしたいこと

「働かないおじさん」とは、構造的問題です。私たちができることは「第3の居場所」としての「サード・プレイス」を確立していくことが急務といえます。

働かないおじさん問題とは

「働かないおじさん」とは、職場にいる、やる気の見られない男性中高年です。
そして、『早期退職時代のサバイバル術』では、

「コロナ禍において注目される中高年へのリストラ人員削減も、「働かないおじさん」問題も、古くて新しい、日本企業の「持病」」なのです。

P.7 はじめに

といいます。

中高年社員の「モチベーションの低さ」「パフォーマンスの低さ」「マネジメントの困難」に頭を悩ませる企業の課題感は近年特にたかまっており、この流れは今後も中期的に続いていくことが予想される。

P.84 第3章 日本の「校内マラソン型」 人事が「働かないおじさん」問題の原因

中高年をめぐる「4ない問題」

働かないおじさんをはじめとする中高年をめぐる問題には、次の「4ない問題」が横たわっています。

中高年をめぐる「4ない問題」
  1.  働かない
  2.  帰らない
  3.  話さない
  4.  変われない

働かない

「働かない」とは、どういうことでしょうか? 「働かない」は、必ずしも仕事をまったくせず、フラフラしている状態ではないようです。
「働かない」は、「モチベーションの欠如」によって、本人が出している成果ともらっている賃金にギャップが生じてしまうことです。
組織の平均年齢が高齢化しつつある中で、50代前後のバブル入社層が厚く分厚い中高年に「働かないおじさん」層が多く、企業にとって極めて重要な経営課題となっています。

帰らない

「家に帰らない」は、次のような背景があります。

  1.  40代以降の中高年は、男性に偏っている残業習慣によって職場に長くとどまってきた世代であり、そもそも家に帰ってこなかった。
  2.  男性は家事・育児をしない傾向があり、男性中高年の職場以外の「居場所のなさ」がある。
  3.  日本の住空間という物理的環境も「居場所のなさ」に影響を与えている。

高度成長期に急速に進んだ住宅の「郊外化」と「長時間労働」によって、私たちの生活空間は「職場」と「家庭」に二分されてきました。
郊外に自宅を構え、夫は長時間、満員電車に揺られ都心部に通勤し、妻が育児と家庭生活を中心に過ごす。
結果として、性別役割分業に応じ、「職場」と「家庭」のそれぞれの空間において、男女を振り分けました。
家に「帰らない」には、職場以外の「居場所のなさ」と、郊外化と住宅事情に伴う物理的な空間としての「居場所のなさ」が重くのしかかっています。

話さない

「話さない」は、他社との交流範囲の狭小さや交流量の減少に加え、他者に対する自己開示のなさという「腹を割る対話のなさ」を意味します。
自分以外の他者との対話や交流の少なさに加え、他者との腹を割った「対話」が不足しているため、中高年のコミュニケーションに影響を及ぼしています。

変わらない

「変わらない」は、就業年数とともに環境変化や組織変化への変化適応力が減衰していくことです。
年齢にもかかわらず、変化適応力が維持されている人は、中高年になってもパフォーマンスや満足度が高いことが明らかになっている研究結果もあります。

中高年の「4ない問題」を取り上げましたが、「働かないおじさん」問題を考えるうえで、「帰らない問題」、特に「居場所のなさ」を中核に考えるべき問題ではないかと、キリオは予想しています。
事実、『早期退職時代のサバイバル術』の中でも

こうした物理的な空間としての「居場所のなさ」が、「帰らない」問題の背後には重くのしかかっています。

P.27 中高年が職場で肩身が狭い真の理由

とあります。

中年男性の「居場所がない」の構造

『早期退職時代のサバイバル術』は、「居場所がない」問題を生み出す構造が述べられています。
「居場所がない」構造をキリオなりに読み解き整理しますと、「日本特有のキャリアの問題」と「居場所の欠如の歴史的経緯」に分けられるようです。

日本特有のキャリアの問題

「居場所がない」問題は、日本特有のキャリアのあり方が影響しています。
日本企業の人事は、小中学校で多くの人が経験する「校内マラソン」に例えられるといいます。
日本の雇用の特徴は、校内マラソン大会に似た、「未経験からスタートする、広くて長い出世レース」なのです。

「入学(入社)した年ごとに「ヨーイドン」の合図でキャリアを一斉に走り出し、「同期」はライバルでもあり、励まし合う仲間としても形成されます。マラソンなのでペースはゆっくりしており、レースが中盤にさしかかるにつれて集団が分かれ、最後は一握りの人たちだけがトップを目指して走りぬいていきます。このマラソンは、スタートが同じですぐに大きな差をつけないという意味で「平等主義的」な体裁を保ちます。しかし、後半戦から最後にかけて当然ながらきっちり差がついて、順位が付きます。「平等主義的」であると同時に「競争主義的」です。しかも、多くの場合そのレースは生徒の手あげ制による「任意参加」ではなく、その学校に所属している限り「強制参加」です。

P.87 第3章 日本の「校内マラソン型」人事が「働かないおじさん」問題の原因

日本以外の諸外国は、雇用はよりエリート主義的であり、入社前からの幹部候補とそれ以外の層に差がつきます。
一方、日本の人事管理は広く昇格機会を与える意味で、正規雇用労働者にとって平等主義的です。
「働かない」状態を生み出すのは、企業が人材マネジメントに失敗し、出世以外の他のモチベーションを見出せないような「モチベーションの欠如」を招くことが背景といいますが、組織は上にいけばいくほどポストが減りますし、モチベーションのエンジンが組織内出世に偏ってきたこともあり、出世競争から外れた場合、組織内出世以外の「モチベーションの代替物」を見出すことが難しくさせています。
入社から20年間にわたって競争主義的な「校内マラソン大会」の環境につかれば、モチベーションが失われてしまうのは言うまでもありません。
「働かないおじさん」問題の核心とは、決して個人に「モチベーションがない」ことではなく、モチベーションが組織内出世に偏った結果、出世以外の「モチベーション代替物の欠如」と指摘しています。

「所属している会社への愛着や一体感を示す「組織へのコミットメント」は歳をとるごとにその人のパフォーマンスにつながらなくなる傾向が見られました。残念なことに、「会社への愛」は「会社への貢献」には徐々につながらなくなっていくようなのです。」

P.173 第6章 「変われる」ことはキャリアの価値

居場所の欠如の歴史的経緯

出世競争が「校内マラソン」であることに加え、「居場所がない」を生むもうひとつの構造は、次の歴史的な経緯があることも見逃せません。

郊外化

中年男性の「居場所のなさ」の問題は、「郊外化」とも繋がっています。
工業化以前は、多くの人にとって働く場所と住む場所は混然一体でしたが、工業化によって住居の「郊外化」が進み、「職住分離」が進展します。
「職住分離」は、人類の歴史上初めて「働く場所」と「住む場所」が遠く離れる「空間的分離」となりました。

住宅政策による「寝食分離」と「就寝分離」

住宅の郊外化による空間的分離に加え、住宅政策による「寝食分離」「就寝分離」も中年男性の「居場所のなさ」に影響を及ぼしています。
「寝食分離」と「就寝分離」の二つの規範は、第二次世界大戦中の1940年代に、戦中日本の居住空間の実地的な調査に基づき、建築家・建築学者である西山夘三(うぞう)によって提唱されます。
「寝食分離」は、字義通り、食べる場所と寝る場所を家の中で別にするものであり、「就寝分離」では、家庭の性別や年齢に応じて寝室を分け、特に一定以上の年齢になった子供には個室を与えて私的な空間を区切ることです。
「寝食分離」と「就寝分離」は、製造業における夫の長時間労働に基づいた空間的配置の発想でした。
また、戦後の都市化によって、より狭い敷地面積で建設効率のよい住宅を大量に作る必要がありました。
特に、高度成長期は、公営住宅・日本住宅公団(現在の都市再生機構)・住宅金融公庫を三本柱として、郊外の人口が増加し、ニュータウンが急増します。
公営住宅・日本住宅公団・住宅金融公庫の三本柱である「住宅の55年体制」は、サラリーマンとして働く男性、無業の女性、子供が二人という核家族が、「標準家族」の形とされました。
「標準家族」の規範は、郊外化によって空間的に配置された性別役割分業と、第3号被保険者制度の導入によって、社会制度としても男女の役割分担を固定化し、性別に紐づいた生活の「空間的分離」を進めることになりました。

残業分離

工業化は、当時24時間操業していた夜勤の工場の影響により、「残業分離」を必要としました。
「就寝分離」と「寝食分離」が実現していれば、残業で夫が夜遅く帰ってきても、子どもを起こさないで帰宅し食事をとることができます。
また、夜勤の場合でも家族の睡眠を邪魔せずに出勤が可能となります。
「残業分離」が、長時間労働と父親の希薄化を招き、「居場所のなさ」にさらに拍車をかけました。

「居場所がない理由」のまとめ
  1. 校内マラソン人事
  2. 郊外化による「職住分離」
  3. 住宅政策による「寝食分離」「就寝分離」
  4. 残業分離

働く男性の「居場所がない」問題の本質

第2次世界大戦から高度成長期にかけて行われた「残業分離」「職住分離」「就寝分離」「寝食分離」という<四重の時空間的分離>により、女性に「空間的足かせ(Spatial Entrapment)」にはめる一方で、男性は「校内マラソン」型の出世競争で「職場」という居場所に閉じ込められ、「職場」という空間にしばりつけられました。
居場所がない働く男性の「帰らない」問題とは、「職場」と「家庭」に分離され、分離が、男性/女性という性別に偏り続けることこそが、「帰らない」男性問題の根底にあるのです。

 

第3の居場所(サード・プレイス)を見つけた方が良い理由

サラリーマンを中心とする多くの日本の中年男性は、家庭(ファースト・プレイス)と職場(セカンド・プレイス)以外で、第3の居場所(サードプレイス)を持っていないのが普通ではないでしょうか。
「居場所のなさ」で考えるならば、キリオも決して他人事ではありません。

「校内マラソン」といわれる人事管理の構造面に目を向けず、目の前にいる「個人」の「働かないおじさん」の現在にフォーカスしたところで、「働かないおじさん」の問題は世代を超えて再生産される。

「働かないおじさん」問題は、構造的であり、個人の問題に還元したところで、問題の解決を遠ざけるだけといえます。
「働かないおじさん」問題を個人のやる気としてみたところで、結局、雨後の筍、あるいは、次々に増殖して襲いかかってくるゾンビのようなものです。
一方、構造的問題であることから、個人ができることも限られるものの、自分の身は自分で守らなければならないことに変わりはありません。
自分の身を守る視点に立つならば、今、求められることは「家庭」でもなければ「職場」でもない、「第3の居場所」としての「サード・プレイス」を打ち立てることが急務といえます。
また、『早期退職時代のサバイバル術』によれば、サード・プレイスを持っている人は、休みへの満足度も高く、仕事への没入感や集中を示すワーク・エンゲイジメントも高いことが示されているといいますし、職場以外の「越境」的な経験や学びの機会を与える場として、人材育成においても着目されているとのことです。
キリオは、副業を確立したり、経済的自由を確立したりすることがまず何よりも重要と考えてきました。
あえて、今でも「副業」や「経済的自由」が重要と考えることに変わりはありません。
しかし、「副業」や「経済的自由」を確立する以前に、まず「自分の居場所」としての「サード・プレイス」を確立していくことの方が、お金以上に大切なのではないか。
そして、順番で考えるならば、まず「サード・プレイス」を作り、その後に、副業やパラレルキャリア、経済的自由の確立であろう。
『早期退職時代のサバイバル術』を読み、上記のように考えるようになりました。
たとえ「仕事」や「家庭」を失ったとしても、サード・プレイスさへあれば生きる道は確保できますし、絶望に追い込まれることも減るのではないでしょうか。
また、サード・プレイスは、内向型の人間にとっても、自分がおかれる環境が全てではないと思えるようになれるはずですで、それだけでも救いになるものと考えます。

「【働かないおじさん問題】サード・プレイスを見つけた方が良い理由」のまとめ

『早期退職時代のサバイバル術』によれば、「帰らない」を中心とする「働かないおじさん」の本質的な問題は、中年男性をめぐる「居場所のなさ」があります。
「働かないおじさん」問題の背景には、中年男性特有の問題である「4ない問題」。すなわち、「働かない」「帰らない」「話さない」「変われない」ですが、とりわけ、「帰らない」は、「居場所がない」問題と深くかかわっています。
居場所がなくなる背景は、そもそも日本特有のキャリアの形が「校内マラソン大会」的であることや、住宅の「郊外化」、住宅政策による「就寝分離」と「寝食分離」、郊外化と住宅政策に支えられた「残業分離」という構造的な問題によって、生み出されているといいます。
もし、40代半ばのキリオが、もっと若いころのキリオにアドバイスするならば、まずはサード・プレイスを確立しようと言うと思います。
せめてサード・プレイスが確立できれば、精神的に追い込まれることも少なくはずです。
一方で、サード・プレイスと簡単に言うのはいいが、サード・プレイスとはそもそも何?というご意見や批判もあるかもしれません。
サード・プレイスとは、精神的な拠り所であり、仮に「職場」と「家庭」を失ったとしても、まだ自分には生きていく場所があると思える確信。そんな確信を持つことができる「居場所」だと、キリオは考えます。
サード・プレイスは、「「家庭」と「職場」以外の「自分が生きていく場所」であり、必ずしも副業やお金を稼ぐだけの世界ではないのかもしれません。もしかして、サード・プレイスとは、単に趣味の世界に留まってしまうのかもしれません。それはそれでかまいません。
キリオ自身はいまだサード・プレイスを持っているとは言えませんので、今からサード・プレイスを打ち立てられるよう、悪あがきをしようと思います。

最後までお読み頂きありがとうございました。

ABOUT ME
キリオ
就職氷河期に社会人となり、某メーカーで経理を担当している、どこにでもいる中年サラリーマン。 過去2社の転職を経てようやく3社目にして、念願であった、学生時代に入りたかった製造業(会社ではない。)への転職を果たしました。 社会人になって読んだ「投資戦略の発想法」と「金持ち父さん 貧乏父さん」に感銘を受け、経済的独立を目指すべく、10年以上個人投資家を続けてきています。零細ですが、株式投資から始まり不動産投資を行います。 学生時代以来、自分の中では「組織」と「個人」のあり方がテーマではあるものの、なかなか周囲と共有できないことが多いと感じられ、また、発信力を鍛えることが大事と思い、このブログを始めるキッカケの一つに。 キリオノートは雑記ブログですが、キリオ自身、お金の話が好きです。 キリオノートは、「お金」の特化ブログではないものの、友達の前や職場であまり表立ってお金の話ができないこともあり、どうしてもお金系の話題が多くなるかもしれません。 一方で、仕事、投資、また、読んだ本や考えたこと、自分が迷い悩んできたこと、経験などを振り返りながら、試行錯誤しながら、モヤモヤした頭を整理する場です。 趣味は映画(現在は子育てに追われ停止中…)、読書、料理など。 性格は、細々継続していく地道なタイプ。腹筋運動・腕立て・軽いスクワットを続けて、学生時代から体重だけはほぼ変わず。(自慢できるオナカではありませんが、腹筋運動はもうすぐ30年。)そこだけ取り柄かもしれません。 保有資格は、日商簿記1級、証券アナリスト、国際公認投資アナリスト 現在、子育て真っ最中。子どもは可愛いものの、自分の時間がなかなか取れないのが今一番の悩み。 一男一女の父。