これからを生きる子どもに対し、親にできることは何でしょうか。
世の中は、まさに今、時代の変わり目であり、さまざまな物事が移り変わり始めていることに異論を唱える人は少ないかと思います。
これまで当たり前の価値観や常識が、今後も同じようにあり続けるものかどうか確信はできません。
なぜなら、いろいろな価値観が、急速に変化してきているように感じますし、従来の価値観が今後も同様であり続けるかは、誰も見通せないからです。
例えば、偏差値の高い大学を出れば、いわゆる良い会社に入ることができ、一生安泰かとはもはや言い切れません。
寿命が延びるため、個人のライフステージは、人によって二回、三回の変遷が求められるようになるかもしれません。(もちろん、人として生きるうえでの最低限のモラルや価値観は、今後も変わらないと信じてはいますが。)
キリオは現在子育て中であり、今後の世界を生きるうえで、子どもをどのように育てるべきかを考え続けています。キリオは子育てにおける悩みは現在進行形でもあります。
今回は、お役立ち記事とはいえるものではありませんが、キリオと同じように今後の子どもをどのように育ていくべきか悩む方に、何らかのヒントや議論するキッカケを共有できればと思います。
これからの子育てにおいてキリオが重視することとは、
- 子供に最低限のリテラシーをつけさせること
- 親ができる範囲の中で、いろいろな経験を積ませて意欲ややる気を見つける手伝いをすること
と考えています。
子どもに対する期待について
よく耳にする話に、親は、かつて自分が叶えられなかった夢や願望を子どもに託そうとする。
たとえば、何らかの理由でできなかった習い事や自分自身できなかったことを子どもに投影したり、自分が望む生き方を子どもにあてはめたりしようとします。
キリオ自身は、「まったくない」わけではありませんが、子どもにどうあってほしいや、具体的になって欲しい職業像などは持っていません。
あえて、子どもに対する願いをもしあげるとするならば、子どもが犯罪をおかさず健康でいてくれて、自分の力でどこまでも歩き続けられる人生であるならば、というのがせめてもの願いです。
特に、子どもが人生の選択肢を見失い、不本意な人生を歩み不幸になって欲しくないと願うのが、親心というところでしょうか。
親ができることは何もないという現実
そもそも親になるまで気がつきませんでしたが、子どもは親と似ますが、まったく別人格であるという当たり前の事実でした。
息子はフォルムや面影は自分の小さい時とよく似ていますが、性格や持って生まれてきた性質は、似ている部分もあるものの、まったく別人です。
また、子どもの人生は、子ども自身のものであり、親の人生ではありません。
親がいつも子どもの後ろについて回り手取り足取り教えたり、子どもの代わりに試験などを受けたりすることもできません。子どもの保護者で常に責任は伴い続けますが、親が子どもの人生をコントロールし続けられることはできません。
また、時代の過渡期で価値観が変化する世の中で、親が子供にあらゆることを教え続けていくことも現実的ではなくなるでしょう。
ところで、キリオは某マンションの理事会に参加していますが、ある時、マンションの理事会の理事長とある雑談をした際、子育ての話になりました。
何気ない会話の中で、理事長が「子育てで、実際、親ができることとはあまりないよね。」と発言したことが、ずっと印象に残り続けています。
理事長は不動産会社を経営され、もちろんお子さんも当然成人していますので、子育て経験からか、ある種の説得力を感じました。
「親ができることはあまりない…」
親はなくとも子は育つということわざではありませんが、実際に子どもが自分で育つものであり、親ができることは実際に少ない。「確かに、真実であり、そういうものなのかもしれない」とも感じました。
人の意欲を育てられない
息子は、イヤイヤ期以降ずっと、大人のすることを何でもやりたがります。
親としては自我が育っていると安堵する反面、あれをしたい、これをやらせろと主張し、忙しいときに限り、いちいち介入してくるので、手を焼かされる面もあります。
ある時、義理の母との会話の中で、息子が何でも自分がやりたがって困らせられると話をしたところ、孫の可愛さもあるのかもしれません。「意欲だけは誰も育てられないから。意欲があるというのはとても大事なこと。」と言われたのが印象的でした。
義理の母も子育ては終わっていますし、今から考えれば、柔らかく諭されていたのかもしれません。
そうです。人の意欲や興味は育てられないかもしれません。
誰が言ったかは知りませんが、馬を水飲み場に連れていくことはできる。しかし、馬が水を飲むかどうかは、馬自身の問題だと…。
親は子どもに対して、できる範囲であらゆるお膳立てを整えることができます。
しかし、そもそも子どもの意欲や興味ややる気がなければ、それ以上は何もすることができません。仮に強制的に親が子どもにその場でさせることができても、後々、子どもとの間にしこりを残すことで、後々もめごとの火種となるかもしれません。
実際、子どもの意欲や興味ややる気を植え付けるのは、とても難しいことだと思います。
今と昔の違いについて
息子は5歳。まさに今、マインクラフトに夢中ですが、彼がやっていることを見ていると、YouTubeでマインクラフトについての番組見て学び、自分が遊ぶPCのマインクラフトの世界で同じことを実践しようとしています。
何が言いたいかといいますと、すごい時代ではないですか?ということであります。
息子がYouTubeで学んだことを実際にやってみたりするようなことは、自分の子ども時代と比べるとありえませんでした。
ただし、誤解していただかないでほしいのは、息子が優れているとか、今の子どもたちが進化していると言いたいわけではありません。
自分が5歳のときはもう40年以上前の話ですが、マインクラフトのようなゲームも考えられませんでしたし、インターネットやYouTubeなどもありません。
自分が子どもの時代には、情報にアクセスできる機会や量も圧倒的に少なく、今の時代に享受できる便利さを想像だにできませんでした。
ゲームはありましたが、ファミコンの黎明期(自分が5歳よりもう少し大きくなった時の話ですが。)で、せいぜいゲーム雑誌や攻略本などで情報を仕入れるか、ゲームが上手な友達からやり方や攻略法を教えてもらうしかありません。
今の子どもを取り巻く世界は、生まれた時からPCやスマホやタブレットに囲まれ、PCやスマホもタッチパネルやカメラとマイクがつき直感的に操作が可能であるため、音声検索を用いれば小さい子どもでも、関心のある事を動画で容易に学べるのです。
デジタル機器や技術に囲まれている今の時代が、昔より恵まれて素晴らしいと言いたいわけでもありません。
もちろん、デジタル技術に囲まれる環境が手放しで肯定されうるかは分かりませんし、賛否両論もあるでしょう。
しかし、賛否両論があったとしても、子どもを取り巻く状況は、もはやインターネット抜きでは語れません。
インターネットにある情報は玉石混交であり、必要な情報がインターネット上に必ずしもあるとも限りません。
ただ、本人に意欲や興味さへあれば、能動的であれ受動的であれ、自分で興味ある分野をインターネットで学ぶことができる。良い面だけとらえるならば、そのような環境が、今まさにここにあるということです。
今後を生きる子どもには、自分の興味があることや問題を見出し、インターネットを前提に自ら調べ、行動する「自走力」が求められているといえるのかもしれません。
「自走力」をつけるために親ができること・・・
インターネットの時代に生きていくスキルが、「自走力」であるとするならば、親は子どもに対して何をすべきでしょうか?
キリオ自身は「自走力」をつけるノウハウは持ちえませんが、普段から子どもに寄り添い、子どもが「自走力」をつけられるよう、支援し続けていくことが重要と考えます。
リテラシーを身につけさせる
まず、自走力に必要なことは、子どもに最低限基本的なリテラシーを身につけさせることが必要なのではないでしょうか。
リテラシーは、一般的には「読み書き」する力と言われますが、昔でいう読み書きそろばんというところでしょうか。
リテラシーとか言っているけど、結局、子どもに勉強させる、単に教育熱心のパパやママだろ、という声も聞こえてきそうですが、必ずしも偏差値の高い良い大学にいくとか、良い学歴を手にするという意味で言っているわけではありません。
キリオが言うリテラシーとは、物事に対する読解力を高めることであり、理解力を高めることも含んでいます。
繰り返しになりますが、リテラシーがなければ、インターネットで書かれた情報が理解できませんし、また、情報や知識が本当に正しいかも見極められません。
子どもに意欲や興味ややる気を気づかせるように支援する
リテラシーをつけることに加え、もう一つ力を入れなければならないことは、子どもに小さいときからいろいろな経験を積ませ、子ども自身で意欲や興味ややる気を見出だせるよう支援をしていくことだと考えます。
意欲や興味がなければ何も始められません。しかし、子ども自身が、最初から自分が何をやりたいのかを分かっている子どもは、一部の才能がある子どもを除き普通はいないでしょう。
意欲や興味を見つけるには、子どもにいろいろな事をやらせてみて経験させて気づかせる以外ないのではないでしょうか?
物事はいろいろやってみないと分かりません。子どもがこれは好きだとか、これは自分に合わないなど、経験してみなければ自覚できません。実際にいろいろやってみて初めて、子どもは自分の意欲や興味に気がつけますし、結果的に物事に対するやる気につながるものと考えています。
子供に勉強を教えることはできませんし、子どもの意欲ややる気を強制的に植え付けることはできません。
せめて親が子どもに対してできることは、子どもが小さいときからできるだけ幅広くいろいろなことを経験させ、子どもの意欲や興味を持たせるキッカケを提供するにすぎません。
もちろん、いろいろな経験を積ませるには、親の経済力や時間がないとできない側面もあるでしょう。子どもに寄り添いさえすれば、必ず子ども自身が意欲や興味を持つという保証はどこにもありません。
それでも、親自身ができる範囲で、小さいうちから様々なことに触れさせ、経験や機会をつくるべきではないでしょうか。
例えば、休日には子どもが行きたいところに連れて行ったり、子どもがしたいことや遊びを一緒にしてみたり、子どもと対話することで何が面白いのか興味を見つけるキッカケを一緒になって探す。あるいは、子どもと一緒にキャンプやスポーツをするなどでもよいのかもしれません。
子どもに「このときはどうする?」だとか、一緒に目線を合わせながら考え、子どもが「したいこと、しなければならないこと、できること」を見出す手伝い、子どもが何かを掴むキッカケを得られたならば、儲けもんぐらいで考える。
それぐらいのユルさでゆくしかありません。
「今後を生きる子どもに親ができるせめてものこと」のまとめ
変化が激しく物事が早く進む時代。インターネットを前提とした情報にアクセスしやすい世界。寿命が延びる人生。
今後は、常に自分で問い、自分で調べ行動する「自走力」が必要ではないでしょうか。
まとめますと、自走力を身に着けるために、現在のキリオは、
- 子供に最低限のリテラシーをつけさせること
- 親ができる範囲の中で、いろいろな経験を積ませて意欲ややる気を見つける手伝いをすること
と考えています。
子育ては、リテラシーをつけ、意欲ややる気を見つけることだけが全てではないでしょうし、キリオの主張が正しいかどうかも分かりません。
しかし、もし同じ悩みを抱える方に何かを考えるキッカケになれば幸いです。
最後までお読み頂きありがとうございました。