長年会社勤めをしてきて50歳を過ぎ定年後を考えた時、退職したら、いっそまったく違う仕事をしてもいいのではないかと思う人も多いかと思います。
しかし、会社生活に最適化され、今まで培ったスキルが通用せず、外で戦える武器が何もないと不安を感じている中高年の方も多いのではないでしょうか。キリオもそうした一人であります。
『ほんとうの定年度 「小さな仕事」が日本社会を救う』(坂本 貴志著・講談社現代新書)が売れていると聞きます。
キリオが関心があるのは、50代以降のキャリア。
すなわち、50代を通じて、どう稼ぎ生活していくかにありますが、定年後を見据えるならば、50代のあり方に対して何らかのヒントが見えてくるのではないかと考え、本書を手に取ってみました。
この記事では、『ほんとうの定年度』を読んだ内容について、キリオの視点も交え、まとめたいと思います。
50代以降のキャリアについて関心がある方に、本書の内容やメリット・デメリットを共有できればと思います。
『ほんとうの定年度 「小さな仕事」が日本社会を救う』とは
『ほんとうの定年後』の目的は、定年後の仕事の実態を明らかにすることと述べています。
『ほんとうの定年後』では、「定年後の仕事には、多くの企業で行われている65歳までの再雇用の仕事も当然含むし、その前段階の50代における状況も分析対象としているが、本書がとりわけ焦点に充てているのは長く務めてきた会社を離れた後の仕事」であり、定年後の仕事の「15の真実」を豊富なデータから浮かび上がらせている他、具体的な事例を交えながら紹介している点が特徴です。
『ほんとうの定年後』を読むべきメリット
定年後の実態をイメージでき、肩の力を少し抜くことができます。
定年間近の人には、ある意味、安心感が得られる内容かと思います。
豊富なデータに基づき説得力もあり、老後の不安は相当下がるのではないでしょうか。
『ほんとうの定年後』を読むデメリット
- 『ほんとうの定年後』は、老後はそれほど心配しないでよいよと言っているように読めますが、あくまでデータに基づいたマクロ的な話。
ミクロレベルで個々人の職業選びをどうしたらよいのかについては、何ら解を与えるものではありません。 - 50代のキャリアをどうすべきかを考えたい人には、あまり参考になりません。
特に、例えば、まだ子どもが小さく、定年後に子どもが成人を迎える人には、あまり役立たないかもしれません。
『ほんとうの定年後』における「15の真実」
『ほんとうの定年後』は、豊富なデータに基づき明らかにされた定年後の仕事をめぐる「15の真実」と、具体的な事例。大きく2つで構成されています。
定年後をめぐる「15の真実」
- 年収は300万円以下が大半
- 生活費は月30万円弱まで低下する
- 稼ぐべきは月60万円から月10万円に
- 減少する退職金、増加する早期退職
- 純貯蓄の中央値は1500万円
- 70歳男性就業率は45.7%、働くことは「当たり前」
- 高齢化する企業、60代管理職はごく少数
- 多数派を占める非正規とフリーランス
- 厳しい50代の転職市場、転職しても賃金は減少
- デスクワークから現場仕事へ
- 60代からの能力低下を認識する
- 負荷が下がり、ストレスから解放される
- 50代では就労観は一変する
- 6割が仕事に満足、幸せな定年後の生活
- 経済とは「小さな仕事の積み重ね」である
この記事では、定年後の仕事をめぐる「15の真実」を中心に紹介します。
ひとつひとつの詳細は、本書を読まれることをおススメしますが、キリオの独断と偏見に基づいて「老後に伴う経済的な観点」「老後の働き方の観点」「定年後の個人の能力と意識の観点」から、内容をまとめてみました。
老後に伴う経済的な観点
定年後は、多くの人がより無理のない範囲で働くよう就業調整をしていくと考えられ、年収は300万円以下の人が大半となります。
老後の家計は、教育費から解放され、生活費がぐっと下がります。持ち家比率も上昇することから、住宅費負担がなくなる傾向にあるといいます。
多くの人が心配する医療費負担は大きくなく、生活費は月30万円弱まで低下します。
定年後の家計に眼を移していくと、仕事から引退した世帯の65歳から69歳までの収入額は、合計でおおよそ月25万円となる。
その内訳は、社会保障給付(主に公的年金給付)が月19.9万円、民間の保険や確定拠出年金などを含む保険金が月2.7万円、そのほかの収入が月2.2万円である。
一方で先述の通り支出額は32.1万円であるから、収支の差額はマイナス7.6万円となる。
「ほんとうの定年後」(P.31)
定年前の世帯所得は、教育費など含め月約60万円を必要しますが、定年後は、多くの人は収支差額からすると、月10万円ほど稼ぎ続ければよいことになります。
一方、将来的に70歳までの雇用が企業責務となると予想されるなか、高年齢者雇用の人件費負担は企業に重くのしかかる(P.41)でしょうし、退職金制度の縮減・廃止は長期的な趨勢として進んでいくことが予想されます。(P.39)
今後の潮流は、ますます個人の自助努力が求められるようになることが避けられません。(P.42)
ここ数十年で、退職金の減少や中高年の賃金水準の低迷、年金の支給開始年齢の引き上げなど家計にとっては厳しい状況が続いている。
にもかかわらず、多くの高齢期の資産水準はそれほど変わっていない。
「ほんとうの定年後」(P.47~48)
経済状況が厳しくなれば、資産を維持するためにも働ける限りは働くという選択をしますし、近年の家計経済の変化が、生涯現役の流れを形成していくと考えられます(P.48)。
老後の働き方の観点
経済成長率の鈍化や人口の高齢化によって公的年金の給付水準引き下げが進んでいます。(P.54)さらに、国が働き続けることを促す方向へと政策を転換してきています。(P.55)
定年後に働くことは所与のものになり、多くの日本人がどのように働くかを考えることが直面する現実になるでしょう。(P.59)
成果主義や能力主義が生み出す現実的な問題を踏まえると、良くも悪くも多くの企業は今後も緩やかに年次管理を続けていくことになるのではないか。
そのようななかで、継続雇用下においても成果に基づいて賃金も少しずつ弾力的に運用していくという方向が、多くの企業人事が取りうる現実的な解になる。
「ほんとうの定年後」(P.70)
仮に、継続雇用が70歳まで延ばされるようになれば、定年後の延長戦は実に10年もの長期にわたります。定年後の延長戦をどう過ごせばよいか、多くの人には切実でしょうし(P.70)、キリオも同じく悩むところであります。
さらに、定年後の働き方の中心は、非正規とフリーランスが多数派となるようです。
非正規とフリーランスは若い人になっては厳しい働き方ですが、高齢期の働き方ならば、話は別といいます。
雇用されることで保証される給与や社会保険の問題を踏まえると、現役時代には会社で雇用されながら働くことに一日の長があるといえる。
そして、定年前には雇用される働き方を戦略的に選びつつも、定年を迎えようという時期をにらみながら独立に向けた準備を行い、定年後に自由な働き方を選ぶという選択は、良い選択肢になることも多い。
高齢期は必ずしも雇用される必要はないのである。
「ほんとうの定年後」(P.79)
一方、50代での転職は厳しくなります。
しかし中小企業や地方に拠点を抱える企業、人手不足が深刻な業界など中心に、中高年の採用意欲が増しており、これまでにない良い待遇で転職できる人も増えてきてはいます。
一部の企業では若手の採用が困難になっていることから、年齢にかかわらず活躍してくれる社員を採用したいという気運が急速に高まっています。
他者との競争に打ち勝って、名のある企業で高い役職を得るというキャリアを一心に追い求め続ける人は多いが、定年後もそうした働き方を求めることが本当に自身いとって望ましいことかと考えると、実はそこまでの働き方は必ずしも必要ではないということも多い。
「ほんとうの定年後」(P.86)
仕事において成長を続けることは好ましいが、必ずしもすべての職業人生の至上命題ではないといいます。高齢期においては社会に一定の貢献をしながら、自身の幸せな生活と仕事とを両立させていく方法を考えていく必要もある。(P.99)
実際、高齢期において必要となる収入はそう多くないのであれば、一心に成長を追い求め続けるキャリアから距離を置き、ベースを落としながらも着実にいまできる仕事で活躍する選択は、成長し続けるキャリアと同様に肯定されるべきといいます。(P.99)
自身の頭で考え抜けば、必ずしもそういった働き方がキャリアのすべてではないと気づく瞬間が、誰しも訪れるものである。
もちろんそれが50代になるのか、あるいは60代前半または後半なのか、70代以降なのか、そのタイミングは人によって異なる。
高齢期のキャリアにおいては、自身の家計の状況とも相談しながら、仕事を通じて自身が何を得て、社会にどう貢献していくのかを考えていかなければならない
「ほんとうの定年後」(P.86)
定年後の個人の能力と意識の観点
多くの人は定年前後に体力・気力の低下を感じ、人によっては処理力や論知的思考力も下がると感じる一方、対人能力や対自己能力は向上し続けます。(P.111)
しかし、仕事に関する能力は生涯にわたって伸び続けるわけではありません。 (P.112)
一方で、定年後の働き方は、負荷が下がり、ストレスから解放されます。仕事の量や質、責任が少なく、難しい人間関係も発生しづらい「小さな仕事」だからこそ、ストレスなく働くことができるのです。
自身の人生のほとんどを仕事に費やすような生き方は、どこか脆い生き方ですが(P.121)、70歳になっても、80歳になっても、健康でありさえすれば人生の最後まで働き抜くことが求められるこの時代。自身の能力と仕事の負荷の低下を感じながら仕事をしていくことは誰もが避けられないのが現実になりつつあります。(P.122)
また、50代で就労観は一変します。
多くの人が仕事に対する希望に満ち溢れていた20代から、人は徐々に仕事に対して積極的に意義を見いださなくなり、落ち込みの谷が最も深いのが50代前半となります。
50代前半になれば、これまで価値の源泉であった「高い収入や栄誉」の因子得点もマイナスとなり、自分がなぜいまの仕事をしているのか、その価値を見失います。(P.126)。
いわゆる、「中年の危機」といえるような状況なのかもしれません。
人生100年時代となり、人々のキャリアが長期化するなか、成長だけを追い求め続ける働き方はどこかの段階で必ず立ち行かなくなる。
そのタイミングで、これまで仕事において大事にしていた考え方を捨て去ることができなければ、こだわりはむしろ精神的な重荷なってしまうだろう。
なぜ人は50代で仕事に対して意義を失い、迷う経験をするのか。
これはつまるところ、定年を前にして「高い収入や栄誉」を求め続けるキャリアから転換しなければならないという事実に、多くの人が直面しているからだと考えられる。
他者との競争に打ち勝ち、キャリアの高みを目指したいという考え方をどのようにして諦めることができるか。
それが、定年後に幸せな生活を送れるかどうかを大きく左右するのである。
「ほんとうの定年後」(P.132)
定年後の仕事を考える上で最も重要なこととは、いかにして社会で通用する高い専門性を身につけるか。競争に勝ち残り、人に誇れるような仕事に就き続けるかではありません。
定年後に豊かな仕事を行えるかどうかを決めるのは、定年前後の意識の断絶をいかに乗り越えるかであります。(P.140)
定年後の働き方は「小さな仕事の積み重ね」である
定年後をめぐる「15の真実」について、キリオの独断と偏見を交え紹介してまいりました。
定年後も安定的に暮らすには、いかに自分にあった「小さな仕事」を見出していくかだといえます。
残念ながら、本書は自分にあった「小さな仕事」を見つけられるものではありませんが、多くの人にとって今後を考える視点は、以下の点であるようです。
- 転機にいかに向き合うのか?
- 定年後にどれだけ稼ぐべきか?
転機にいかに向き合うのか?
定年後は会社から与えられるキャリアを歩んでいきさえすればよいのだという方法論はもはや通用しなくなる。
だから、これからの時代は、キャリアの転機に真摯に向き合って深く悩むことが、何よりも重要になってくるのではないかと思うのである。
「ほんとうの定年後」(P.218)
定年後は、キャリアの転機に対して真摯に向き合うなかで、自身ができることを振り返りながら、目の前にある仕事の選択肢をみつめていくことが必要なのだと感じるのである。
「ほんとうの定年後」(P.219)
会社から与えられるキャリアを歩んでいきさえすればよいとは、キリオも毛頭思ってはいません。
「これからの時代は、キャリアの転機に真摯に向き合って深く悩むことが、何よりも重要になってくる」と言われれば、まさにその通りです。
しかし、ヒントを探し求めているはずが、結局「悩めよ」と言われているようであり、堂々巡りに終わっているようにも感じてしまいます。
ただ、「キャリアの転機に対して真摯に向き合うなかで、自身ができることを振り返りながら、目の前にある仕事の選択肢をみつめていくことが必要」だということは、間違いないことなのでしょう。
真摯に向き合うことが大事であり、キリオは50代をどうしていくかあれこれ考えてはいますが、あれこれ考えている自分の姿勢は、決して間違ってはいないのかなと感じています。
定年後にどれだけ稼ぐべきか?
定年後に最低限どの程度の仕事をしていく必要があるかは、家計に必要な額から逆算して考えていかなければならない。
そのためには、定年後、自身の無理のない範囲で給与を稼ぐためたの、適切な戦略が必要になるだろう。
「ほんとうの定年後」(P.219)
当たり前ですが、老後の働き方(いつから老後と捉えるべきか議論があるところかもしれません)は、家計にとって必要な額によって決まるという、結局「お金の話」となります。
お金の話となれば、家計管理の家計簿の話も大事な視点ですし、「FI」,すなわち、「経済的自立」という考え方もきわめて重要です。
ちなみに、キリオはまだ子供が小さいため、いわゆる定年という歳ではまだ子育てが終わりません。
おそらくですが、年間近で一番お金が必要となることが予想されます。
「ほんとうの定年後」にあるように、稼ぐべき金額は、月額60万円から月額10万円で済むかは、一般論で、個別にあてはまりません。
また、日本の年金制度の破綻はありえませんが、今後も支給年齢の引き上げや減額が議論され続けることは予想されますし、何事も絶対大丈夫はありえません。
さらに、今から将来15年後、2030年代後半のビジネス環境や社会情勢がどうだかは想像もつきません。
少なくとも今よりも就労人口が減っているので、高齢期でも雇用されうる機会は多いのではないかということは言えるのかもしれません。
仕事とは自身の生活を豊かにするために、またその結果として誰かの役に立つためにあるものであって、キャリアの良し悪しを他者と比較して競うためにあるものではない。
そうした考え方で自身に合う仕事がないかを探していけば、身近な仕事のなかに、自身にとっても社会にとっても双方に価値のある仕事がきっと見つけられると思う。
「ほんとうの定年後」(P.222)
著者が主張する「自身に合う仕事がないかを探していけば、身近な仕事のなかに、自身にとっても社会にとっても双方に価値のある仕事がきっと見つけられると思う。」は、あくまで著者の期待と予想であって、本当に価値のある仕事が見つけられるかは、おそらく人それぞれになるのでしょう。
いずれにしろ、来るべき2030年代後半を意識しながら、50代をどう生きるか。残念ながら、本書ではヒントを得られませんでした。
引き続き自分自身で何かを模索しなければなりません。
「『ほんとうの定年後』を読んでみた」のまとめ
『ほんとうの定年後』をキリオなりに乱暴にまとめるならば、
老後の働き方とは、非正規かフリーランスで、時短で現場仕事を通じて毎月10万円を稼ぎましょう。
そして、小さな仕事を考えるには、今までのキャリアの連続や、成長を一心に追求することに、いかに離れられるか。
ということではないでしょうか。
以前、「『60歳までに「お金の自由」を手に入れる!』を読んで逃げる準備をしたい」という記事を書きましたが、ある意味、「お金の自由」とはただの願望であり、現実的かどうかは分かりません。
実際は、60、65歳以上になっても、何らかの仕事をしているのではないでしょうか。
また、「事実14 6割が仕事に満足、幸せな定年後の生活」とありますが、「6割」という数字は、割合が高いかはともかく、おそらく半分以上の大半は、老後の働き方に満足しているという意味で用いられているのでしょう。
しかし、反対から見れば、「約4割」の人々は、何らかに満足できていないこともうかがえます。
全ての人が満足するなどはありえない話でしょうが、老後をどうしていくべきかという話は、あらゆる人に関係する切実な話と思われます。
結局はその人その人の個々人の人生であり、引き続きキリオもどうすべきかを考え続けてまいりたいと思います。
最後までお読み頂きありがとうございました。